身の丈
身の丈に合ったものを持ちましょう。
とは、よく言うもので、
あまりに粗末なものを持っていれば、その人の品性(?)が疑われてしまうし、
あまりに高級なものを持っていれば、一体何者なのかと、勘ぐってしまう。
昔は、誰から見ても高級なものが好きで、そこに価値を見出していたけれども、
今は、そこに価値を見出すことが、適切ではない気がするのだ。
もちろん、ものにもよるのだけど。
モノの価値というのは、都度、変わっていく。
それは世の中の変化や動向もあるけれど、自分の生活環境の変化もあるし、心の変化もあると思う。
そこを見極められる自分の意思とか、認められることのが大事だと、いうこと。
人は、あまりの変化に心がついていかない。
モノの変化と心の速度は必ずしも同じではない。
つまり、
モノは壊れない限り、実際の存在価値は別として、価値があると思い込むわけ。
無理に使ったりね。
特に、高級品だったりすると、自分の元から手放すことを怖がる傾向が強く、無意味に持っているだけで、もうなんの価値もなくなっていたりすることもある。
くたびれて、汚れて、傷だらけの時計やバッグや靴に、思い出以外のなんの価値があるのか。
わたしは捨てますけどね。
思い出に形はいりません。
何が言いたいかというと、
お金を使わないことが評価されたりしがちですが、
「何に、いくら」払えるのか。という判断基準を持った上で、行動することのが大事なのではないかと思う。
その上で、使ったお金をきちんと消化すること。←ココ、超重要。
最近、わたしはそれを意識してお金を使うようになった。
お金は使わないとまわってこない。
だから、自分のところに戻ってくるように、意識することが大切。
結局、ドケチなんだなあ。
冒頭に書いた身の丈も、そう。
ほんのちょっと、自分より身の丈より高いものを(長いもの?を)選ぶ。
そうすることで、自分が次の段階を目指すことになるわけです。
その基準は人それぞれあるだろうと思うけれど、目標を決めて先に進んで行ける。
お金を使うのは怖いけれど、結局は全て自分のパワーにしかならないから、仲良くするのが一番。
使い方を間違えず、大きな感情を持たずに、キチンと付き合っていけば、答えは自分がくれるものだと思ったから、
大きな使い方をする前に、残そうと思います。
ああ、長くなった。
学んだねえ。