江戸っ子ネコのしゃかりきメモ。-6.20

いかに生活を楽しく豊かに生きるかをモットーに過ごすと、毎日忙しいことに気が付いた。そんなおばさんが楽しみながら書く日記です。

ねがいごと

数え間違えた六度目の7/28、大人になって初めて涙を流しながら祖母の家に帰った。



いつも、祖母の家には、祖母の恋人か、孫の誰かが必ずいるはずなのに、その日に限って、祖母ひとりだった。



すっかり甘えて、言い訳もせずに、無言でただ泣きながら祖母の膝の上に頭を乗せる。





きっと、20年以上ぶりにこんなに甘えただろう。



自分が社会に出てから、この人に一切の弱音を吐いたことがなかった。




親じゃないから、親不孝ができない。




ただ、それだけを守ることしかできない。


正の行動はできても、負の行動は孫の自分には、ただ申し訳なさしか残らない。



正しいか、正しくないか、そんなことは、いつの間にか、もうどうでもよくなってしまった。




それでも、ここまで理解できるまでの間にしてしまった負の行動など腐る程あるから、それを埋める行動しかできない。



あなたには、親孝行しかできないんだ。



わたしは、あなたには笑顔しか見せたくないんだ。



いつの間にか、ある種正しく、ある種大きく間違った、不器用な親孝行は、これだけが守られてきたルールのようなものだった。




これだけ大きく間違えたルールを貫いて通してきたなら、通さなくては。



それでも、だめだった。


あのまま、一人で家に帰るには心が重かった。

空気が吸えなかった。




逃げるように、頼るように、寄って、何かのきっかけを誰かが与えてくれたのか

おばあちゃんが一人でよかった。


頭を預けて、泣いてみたら、



なに?どうしたの?
と、頭を撫でてくれた。



ただ、それだけで、声を出して泣いた。



ちゃんと。





わたしには、甘える力が残っていた。



もう、ないと



甘える力も、相手も


ないと



理解していた。









そう。
どうか







この教えが母の最後の教えでなきよう、心から、切に願う。





どうか、どうか








めちゃめちゃ元気なんですけど、やっぱり心配なんです。


こんなに、頼らなかったのに、阿吽の呼吸で助けてくれて、だけど、どうにもならんことなのは、もうお互い分かってるから


だから、こう、あ〜ってなるわけで。





やだ、もう。



文章結構ちゃんときれいに書いてたのに。



つまり、


おばあちゃんが大好きなだけなんです。




そんで、今までこんなことしなかった致命的な弱味(?)をとうとう見せてしまったので



常日頃から、アホか!ってくらい言われてる



結婚したらいいのにー
結婚したらいいのにー

子供産んだらいいのにー




これに火をつけてしまった、と言うオチつきだっつーことね。




そうなるからやだったんだけども!





はあ〜…





やっぱり、7、8、9月はダメだ。