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江戸っ子ネコのしゃかりきメモ。-6.20

基本的には支離滅裂な駄文と本人にしか分からないような日記。たまにはいい事を言うかもね。

あとは死ぬだけ

ネタとか独り言

 

 感想など、評価はやめておきたい本です。
 
 
ただ、中村うさぎさんは、私が子供〜ある程度の大人の間のときに知った作家さんで
 
 
うーん、まあ、子供だな…
 
 
 
その時には買い物依存症のときのエッセイを書かれていました。
 
 


 

 


私の捉え方があっているのか、分かりませんが、
 
当時から、自分でしたこと、発言したことに対しては自分で責任を取る。
 
それが、間違っていたことでも。
 
 
という方と、お見受けしています。
 
その姿勢がとても好きです。
 
 
というか、共感と言えばいいのか、人として当たり前だろう、と思うんだけど。
 
 
それは、この本(あとは死ぬだけ)でも変わらずにいらっしゃいます。
 
 
 
そして、色んな経験も痛い思いも良い思いもし、病気にもなった今、書いているのが、この本。
 
 
ってことなんですかね。
 
 
 
 
私は評論家ではないので、詳しいことは分かりません。
 
 
ただ、
 
 
この本のタイトルを見たときに
 
 
この言葉を
 
「言って良い言葉なんだ」
 
 

 
気が抜けました。
 
 
 
 
私事ですが、
この3~4ヶ月でしょうか。
 
 
たまたまですが、
 
色んなことを思い、感じ、遺言状を書いたり、自分が死んだ後のことを考えたり、礼服の処分を考えたり。
 
 
あとは葬儀場との生前契約をしとくだけなんだけど、
(と、思っている。
慎重なので、本当にそれだけなのかを、カネも含めて確認中)
 
と、言い切れるくらいまでのことはやってるつもりなんだが
 
 
この言葉だけは、言ってはいけないような気がして、口には出せなかった。
 
 
私は(まあ色々あるものの)元気だし、おばちゃんだけど、まだ若い。
 
 
 
つまり、青春時代も昭和のじいさん、ばあさんから言わせれば、
 
「このひよっこが!!」
 
 
と言われる部類の、クソガキである私が、
 
 
「もう、やることやったんですよ、納得しました。ありがとう。あとは死ぬだけなんです。」
 
 
 
なんて言っていいと思えなかった。
 
 
と、言うだけの話し。
 
 
 
 
でもね。
 
 
 
それって
 
 
 
人生○年の話しじゃないんです。
 
 
 
 
ひよっこが偉そうに言うけど。
 
 
 
何年でもいいんだよ。本人が納得してりゃ。
 

8年でもいいんじゃね?

 

もったいないけど。

 

他人がどうこう言うもんじゃないよ。

 


生きていれば、の話じゃないの。もう。
 
そんなことは分かってんの。
 
 
 
生きてきた過程の中で、それぞれ、納得してきたよ。
もうこれ以上、期待をしたくないの。
 
 
生きていれば何かはあるよ。
 
そんなことは、分かってる。
 
そこには期待とか、情とか、欲とか、希望とか色んなものが絡まって、何にでもなれる。
 
未来は無限の可能性を秘めている。
 
 
そこに期待をするのが嫌だ、と言っているのよ。
 
もう、疲れたんだよ。
 
ここで納得しないと、もっともっと!となるの。
 
ちょうだい、ちょうだい!となるの。
 
八分目の人生なんていらねえよ、ハングリーじゃないなら満腹で常に目の前にご馳走でいいんだよ。
 
 
 
ということ。
 
 
私はね。
  

 
 
 
三年前かな、四年前かな。
 
祖父が亡くなりました。
 
 
80歳でした。
 
 
 
病気ではありませんでした。
 
 
もちろん、歳の病気はあるけれど、突然死ぬような病気ではなかったそうな。
 
 
まあ、不慮の事故みたいなもんだそうだ。
 
 
周りが口を揃えて言った。
 
 
 
 
「早かったわねえ」
 
 
「どこがだよ!どんだけ長生きしたいの!」(間髪入れず)
 
 
と、突っ込んだのは言うまでもない。
 
 
 
祖父が亡くなったことは、まあ、悲しいよ。
あんまり絡みはなかったけれど。
 
 
けど、80年生きて、他人に早いと言われる祖父がなんだか、私にはピンとこなかった。
 
 
 
父も「早かった」と言われた。
 
 
父が亡くなったのは49だった。年が明けたので計算がしにくい。7年くらい前です。
 
 
早かった。
 
 
父の子には成人していない子もいる。
今でも。
 
 
そりゃ、早いよ。
 
 
そりゃ言われるよ。
 
 
 
 
だけど、人の人生を計れる基準というのは、どこにあるのだろうか?
 
 
今、例えたように、祖父は孫もいて80年生きた。
 
やり残したことは、なくは、ないだろう。
 
けれど、
 
別にそこまで不自由してそうにも見えなかった。
 
 
もちろん、思いはあれど。
 
 
 
というか、それが人だろう。
 
 
 
 
父は、成人していない子を遺して、孫を一人も見ることもせずに、子供達は誰も結婚もしないまま、
 
つまり娘達は自分のもののまま、
息子も善悪の判別だけが備わっただけのまま、


自分の親の死に目も見ることもせずに、誰よりも先に逝った。
 
 
これが、早いと言われるのは、何となく分かる。
 
 
経験の問題だよね、きっと。
 
 
私でもわかる。
 
 
年金もまだだしな。うん。
 

 

極端な話し、

仮にだけど、それを本人がどう感じていたのかなんて、本人にしか分からないもので、

 

「俺は娘の花嫁姿なんて絶対見たくない!」

 

と思っていて、それが人生の目標だったのならば、

 

 

例え、早かった人生でも、全うしているではなかろうか。

 

人の死を悲しみ、嘆き、

 

「早かった」

 

と言うのは、一見、情があるように思うけれど、

 

本当は「ごきげんよう」と同じくらいの意味合いで使っている人もいるのではないかと思うときがある。

 

遺族への言葉が挨拶かい。

 

と、私はいつも違和感がある。

 

そう言う意味で、ご愁傷様です、というような言葉も使わない。

 

少し話しがずれてきたので

 

中村うさぎさんの話しに戻すと、彼女は、作家であるがゆえに、言葉を発信する側にいる。

 

 

なので、私が今ここまで書いたように、聞く側の立場として責任を持つ、と言うより、話す側の立場として責任を持ちます。

 

という印象を受けているので、自分の残した言葉の責任、行った行動の責任、という今までの集大成のような感覚で読んでいました。

 

死について考えている人、思う人、よりは、責任や言葉の重さについて日頃考えている人の方が向いている本の気がします。