言葉の重さ。
最近大人になるんだなあ、と痛感しているメネです。
あと、8年はえーよ、わざわざ実感することじゃねーよ、しかも自分だけで。アホか。
辛い。
痛い。
どれだけ自分が子供だったんだろ。
このまま子供でいられたら。どうして大人になるんだろ。
ネバーランドを忘れる大人になるのか、それが大人なのか。
まだわかんねえ。
とりあえず分かるのは、言葉の重さだけ。
言葉の仕分けできるぜ。
そんくらい結構自信ある。
昔、ある人がわたしに言った。
「皮肉かもしれないけど、メネは手紙が特技だな。」
んだそりゃ!?
履歴書の特技の欄に「手紙」とでも書きゃあ良いんかい!?
*2016/11/13 追記、特技じゃあ、ないな
と、思ったけど、強ち間違っちゃあいないんで黙っといた…
くっそー…
話すのが得意じゃないから、手紙になるんだな。
今はメールだったりするけど。
手紙はPCじゃ書けないという特異体質。
本当に手紙が得意な人にしか分からないだろうな。
それ故に、最近、喋ることができなくなってきた。
どうやら元々話しは聞いてる方が好き、というのは、この2年くらいか?
で、知ったことだけれど、大切なことを伝えることに時間がかかるようになってしまった。
言葉の選別をしすぎる。
日本語には種類がありすぎる。
なんて賢いことは言わないけども、別に静かな人では、ない。
ただ、言葉を選ぶせいで大人しいと思われるのか、喋り方が良く思われるのか、風当たりが強い。
それに疲れた。
ただ、それだけのこと。
大人って、こうなって行くのですか?
それとも、こう作られて行くのですか?